ジブリ作品に見る「少女の成長」のエッセンス
どうも、滋賀県出身、中目黒在住のこーぺいです。
初投稿となります。これからよろしくお願いいたします。
早速ですが、先週、宮崎駿監督が『風立ちぬ』以来となる映像作品『毛虫のボロ』の完成を発表し、東京都三鷹のジブリの森美術館で2018年3月21日より上映されることとなりました。
引退宣言したはずの宮崎駿監督の、およそ4年半ぶりの映像アニメーション。
ただでさえ、チケット入手困難なジブリの森美術館、今後さらに人気が高まりそうですね。
ところで、1/12(金)には金曜ロードショーで『ゲド戦記』が放映されていましたが、僕も最近急に“ジブリ熱”が高まり、TSUTAYAで借りてきました。
『思い出のマーニー』(2014)と、
『おもひでぽろぽろ』(1991)
※なんかタイトル似てる・・
『おもひでぽろぽろ』はもう何回見たか覚えていないくらい見ていますが、やはり何回観ても飽きないし、新しい発見があるジブリ作品は、本当に素晴らしいと思います。
『おもひでぽろぽろ』の中で、個人的に好きなところはラストの構成。
まだ観ていない人へのネタバレ防止のため、詳細は書きませんが、「エンドクレジットが流れ始めてからの大どんでん返し」という表現がぴったりやなと思います。
ストーリーのもっとも大事な部分をエンドクレジットと主題歌に乗せて、セリフ無しで表現するというアイデアに、宮崎駿監督の“粋”を感じますね。
ところで、ジブリ作品は一貫した独特の世界観がありますが、そのひとつの側面に「少女の成長」という要素があると僕は感じています。
『魔女の宅急便』
『おもひでぽろぽろ』
『千と千尋の神隠し』
『思い出のマーニー』
特にこれらの作品は、ストーリーの主題そのものが、一人の女性の成長を描いた作品になっています。
故郷を離れ知らない街で暮らし始めた魔女の女の子。社会の厳しと人の温かさを同時に学び、成長期の心の不安定を乗り越え、最後には事故の飛行船を助けるほどの勇気を得る『魔女の宅急便』。
就職して5年、27歳という年を迎え、自分らしく生きるという事は何かを探し始めた女性。かつて小学校5年生の時に感じた自分というものの客観視。世の中が大きく変わる中で迎えた思春期。そんな小学校5年生のワタシの思い出が、27歳の私にもういちど生まれ変われと促す『おもひでぽろぽろ』
自分からは何も行動を起こそうとしなかった少女が、迷い込んだ神々の世界の中で、様々な困難を乗り越え、最後には幼少のころに落ちた川の主を助け、豚になった両親を救う。“誰かを助ける存在”へと成長する物語『千と千尋の神隠し』
コンプレックスを抱き、人とうまく話すことができない少女。今は亡きのおばあちゃんの幼少期の幻影と出会い、自分にとって憧れだった存在の強さと弱さを知ることで、自身の弱さを受け入れ、心を開いていく『思い出のマーニー』
その他の作品にも、幾度も出てくる「成長」の物語。
それらの成長の過程に共通してあるものは、①異世界での体験と、②ある種の痛み、そして③自己受容です。
彼女たちはかならず非日常的な異世界を経験しています(ストックホルムの街、秋田の田舎町、神々の世界、、etc)
そこで痛みや苦難を経験し、それを乗り越えるとともに自己の再発見(新しい自分の形成)を通して、成長をしています。
ここに「成長とは何か」ということに対するジブリ独特の解釈を見ることができます
(原作がジブリでないものもありますが、題材として選んでいるところにジブリの傾向を見ることができます)
1. 成長とは、これまでとは違った世界を経験すること(殻を破ること)
2. 成長とは、痛みを伴うもの
3. 成長とは、過去の自分・今の自分を受け入れること
こんなことを、ジブリ作品は私たちに教えてくれます。